かなすぎの備忘録

ただの備忘録です。SNSのスピード感にふさわしくないことを書きます。

またひとつ年をとりました。

こんばんは。

いやぁ、本日5月30日、22歳になってしまいました。特にめでたいとも思えなくなってきてしまったんですけど、家族や友人から祝われるとなんとなく実感がわくものですね。ありがとう。

そんな区切りの日なので、思い切ってここ数年ずっと考えていることをまとめて書いておこうと思います。

 

私の基本的認識として、人間は弱い生き物だと思っています。しょうもない話ですけど、例えば僕は昨日、「明日こそは卒業論文に使う文献を読むぞ!読むぞ!」と思っていましたが、結局昼間は大学の課題をやって、午後から床屋に行き、ふらっと本屋に立ち寄って本棚を眺めて回り、帰ってきて風呂に入り美味い飯を食べて今に至るわけです。(現在21時26分)

本当にしょうもねぇなぁ、と思っていらっしゃるでしょう。笑 もう少しスケールの大きな話にしてみます。

2000年代に入ってから脚光を浴びた学問の一つに、行動経済学というものがあります。

 

www.abef.jp

 

大竹文雄さんの書いている岩波新書の『行動経済学の使い方』が面白かったです。)

あくまで素人の理解ですが、要するに従来の経済学の理論は、「人間は消費において常に合理的に行動する」という前提に立っていたわけです。純粋な数理モデルでしかなかった。それに対して行動経済学は「そんなわけねえだろ」と経済学者と心理学者が冷静にツッコミを入れていたんですけど、それに光が当たったのがやっとこさ2002年だったというね。

ここで「冷静にツッコミを入れていた」と書いたのは、改めて考えてみると、こんな話は大学で経済学を学んでいようがいなかろうが関係なく私たちにもわかる話だと思うからです。

宝くじの話なんてのは有名ですよね。期待値からすると買うのはバカなわけです。でも、私個人としては、宝くじを買う人に向かって「バカだ」という人こそどうなんだろう、という思いに駆られるんですよ。そりゃ宝くじを買うくらいですから「当たったらいいなぁ」≒「お金が欲しいなぁ」と思っていますよ、たぶん。お金が欲しいなら、他のギャンブルの方がよっぽどマシ。でも、人間ってそういうもんじゃないから、「夢」を買うぐらいのことをしないと活力が出ないときもある弱い生き物だから、非合理的な行動をとる。「夢」に細かい計算なんて似合わないですから。

 

まあ何が言いたいかというと、人間なんてものは完全に理性に従って行動することなんざできない生き物なんだと私は思っているということです。人間は弱い。誰でも間違える。心に芽生えた小さな悪意に負けてしまうことだってあるし、悪意によって自分は何も悪くないのに、あたかも自分が悪いように思いこんでしまい、傷つけられてしまうこともある。

そんな前提に立って社会を見渡すと、なんとなくみんなに対して優しくなれる気がしています。もちろん良いことは良い、悪いことは悪いと言うべきなんですよ。たまに勘違いされるんですけど、「優しい」ということと「甘い」「なれ合い」といったことは違うので。でも、それを言う時に優しさがあれば、それが言い方に反映されると思うんです。

昨今のギスギスしがちな世の中で、私も怒りを前面に出してしまうことがありますが(○○な人が総じて本当に嫌い、などとつぶやいていて、翌朝本当に後悔しました。苦手ぐらいでとどめておけばよかった。)、そこはまだまだ人間ができていないということなんだと自戒しています。

 

ということで、22歳の抱負は「弱さゆえの優しさを身につける」ことにします。ダメ人間の私ですが、このような抱負を掲げていることからわかるように相変わらずダメ人間のままだと思いますので、どうかご容赦を。22歳の私とも今までと変わらず付き合ってほしいと勝手に思っています。よろしくです。